入門書を読み終えたら、今度は「自分の基本書」を1冊決めましょう。いわば、「その科目のホームグラウンド」と呼べる本を決めてしまうのです。受験の世界とは便利なもので、大学入試から各種の資格試験まで、科目ごとに定評あるテキストがいくつか決まっています。ですから、そのような標準的なテキストの中から、自分に合うと思うもの、入試なら志望校の出題に合ったものを選べばいいのです。ときどき、他の人と同じであることを嫌って、マイナ−なテキストを選ぶ人がいますが、これは感心しません。趣味で読むのなら問題はないのですが、試験に合格するとか、あるいは(TOEICなどで)高得点を取るというのが目標ならば、みんなと違ったことをやって「逆転ホームラン」を狙う必要はまったくありません。合否を分ける試験なら、合格定員の中に入ればいいし、得点を競う試験なら、一定の点数より上に入ればいいわけです。奇抜なことをやって、かえって他の受験生か楽勝で取れる問題を落とす方が、よほど危険なのです。
人間が行動するには動機づけが必要です。人は無報酬では行動しません。この動機づけとなる報酬とは金品も含みますが、精神的な満足感がもっとも重要です。それでは中学入試の受験勉強から子供はどのような満足感を得るのでしょうか?「志望校合格が受験勉強の成果である」というのは長期展望がもてる大人の理屈です。小学生は三日先も実感できませんから、そんな遠い未来の話をされても勉強の動機にはなりません。子供は勉強という無報酬の重労働を強いられ、気を抜くと怒られ、成果が出ない(テスト結果数値が悪い)場合も怒られ、そのうえ「これはすべてあなたのため」と身に覚えのない恩義を着せられ、「努力が大切だ」「自主性を出せ」「意欲的に取り組め」……と説教される。
社会人の勉強は、単に教養を高めるためにのみするのではありません。実務に通じるものであるほうがベターです。そのためには、一度、理解したことでも、ちょっとでも不安を感じたら繰り返し見直して、執拗に内容を確認する姿勢が求められます。社会人が勉強する場合、注意すべき点は、一部の資格試験の勉強を例外として、学んだことをやりっぱなしにしてしまうことです。これは意外に多くみられます。理由として考えられるのは、経験的にわかったと思い込むケースが多いことです。これは、誰もが陥りがちな落とし穴といえます。たとえば、本を一冊読んだあと、読み返す人が何人いるでしょうか。かなり目的意識をもって目を通している場合でも、それなりの理解が得られれば読んだことにしてしまうものです。優秀な人ほどこの傾向があるようです。思えば、無理のない話です。というのは、社会に出て多くの経験を積むと、おおよそのことがどうなるかわかります。一部の学術書など例外を別にすれば、本に書いてあることがおおむねはわかるわけです。経験を積めば知識もそれなりに豊富になりますから、見るもの聞くものの大半が経験ずみで、新鮮さを感じることはないでしょう。要するにアテンション(注意)がどうしても低くなります。これは自己能力に対してかなり謙虚に考えている人でも避けようのない事実です。